新選組
いつもお世話になっております。長岡京店の澤田です。
今回は幕末の京都で活躍した新選組の足取りをたどってみようと思い、京都の街をウロウロしました。
「新選組 前編」です。
学芸員の方にお伺いした、新選組のおさらいを・・・
「新選組」と言っても江戸で浪士が集められて将軍警護のために京都に上ってきたころは新選組と呼ばれずに「浪士組」と呼ばれておりました。それから色々あって京都に残る者は壬生寺の八木家に屯所を構えて「壬生浪士組」と呼ばれていました。いわゆる「みぶろー」ですね。
新選組になる前の「壬生浪士組」は、芹沢鴨、近藤勇、土方歳三、沖田総司、永倉新八、山南敬助、等など、そうそうたる顔ぶれですね。
ここで有名な仲間割れがありました・・・。
近藤勇チームと、芹沢鴨チームが、バチバチ!やったのですね・・・。
芹沢鴨は、秀でた剣豪でありましたが、いかんせん素行が悪い!
暴力や悪い事ばかりしていました。おまけにお酒ばっかり飲んでいて酔って暴れてばかりでした。
そんな芹沢鴨のお気に入りの飲み屋さんが、現在の七条通の少し北にある「角屋」です。
壬生寺から1kmほど離れていますが毎日毎日飲みに行っていました。
1863年9月 とあるドシャ降りの雨の夜、芹沢鴨は今日も角屋に飲みに行き、八木邸の屯所に帰って来てもまだ宴会をしていました。芹沢鴨は酔っぱらっています。そこに近藤勇チームの暗殺部隊が部屋になだれ込みます。しかし、さすが剣豪の芹沢鴨は応戦します。しかし座敷机につまずいて倒れてしまい切られてしまいました・・・。
現在の八木邸の座敷内は公開されていますので実際に行ってきました。
その座敷で学芸員の方が芹沢鴨の暗殺事件の事を詳しく話してくれました。冷静に考えてみますと、たった160年前に4人が亡くなった、事件現場です。畳と障子が張り替えられただけで当時のまま保存だそうです。芹沢鴨がつまずいた座敷机もそのままで、部屋には刀傷が残っていて当時の緊張感が今も感じられました。
※座敷内は撮影禁止でしたので写真はありません
そんな事があった1863年の9月でした。
それ以降の壬生浪士組は近藤勇を中心としてまとまっていくのでした。
聞き間違いがあればすみません!
次回は「新選組・後編」として鳥羽伏見の戦いをたどっていこうと思います。